第三回マイタウンマーケットも大盛況のうちに終了し、
年が明け、新年はじめて新地町を訪れました。
新地町の安波神社に初詣に行くというとマイタウンマーケットでいつも大活躍している子どもたちもついてきます。大事なお年玉のかけらをお賽銭にしていました。偉い偉い。
船方のみなさんが再興したこの安波神社。土地への敬愛がじわじわ体に伝わってきました。
年も巡り、季節も巡る。復旧・復興などのことばによって、去年の真冬以来スタートを切り直したように一方向性によって歴史が進んでいくような感覚にみまわれがちですが、
こうして正月を過ごしたり、強い寒気に身を震わすとやっぱり思い出します。昨年初めて新地を訪れたときの寒さと重なってきます。ゆえに、一方向性でなく私自身はまるで円環として日常を経験していることを確認しています。
ながらくつづく円環の速度にそっていまマイタウンマーケットといった新たなことを営むこと。それを我々個々人という記憶装置にセットしてまだ見ぬだれかに紡いでいくことに意味と使命を思います。
例えば100年あとに、もしかしてマイタウンマーケットが続いていて、私がいないその未来を生きる女の子がマイタウンマーケットに遊びにきているとします。気になって「マイタウンマーケットはどうして生まれたの?」と女の子が聞いたとしましょう。そのとき確実に「2011年、あのころに生まれたらしいんだ。」と歴史に詳しいおじいさんあたりが答えてくれるでしょう。女の子は少ない歴史の知識からはっとします。教科書で学んだ100年前の事実と目の前の生活文化として継承されているマイタウンマーケットが頭上で複雑にからみあう。自分たちの町について考えて、定期的に一日限りの手作りの町/市を皆でつくりあげる。その何て事はないって思って見ていた「マイタウンマーケット」という行事(その頃は名前も変わってたりするのでしょうか)が女の子の頭のなかで今までと別のものに変身してしまう。マイタウンマーケットのもつポテンシャルというか価値を何気ないQ&Aから発見させられたのかもしれません。
この時のマイタウンマーケットにおける価値は今とたいして変わっていません。
マイタウンマーケットは独自の方法で今を伝え、いつかも機能しうる習慣として生きることが可能だと信じます。
ぼくらはもう、円環の行き先までイメージしてしまうようになってしまいました。
いまこうやって、赤い鳥居の丘で子どもたちと戯れながら、
彼らとのくだらない話を重ねることも大きな意味があるかもしれません。
例えば100年後のある女の子に繋がっているかもしれないのですから。
お賽銭をしてから、安波様に手を合わせて祈りました。
今年はマイタウンマーケットを伝えるためにある試みがはじまります。
後日詳細をアップしようとおもいます。
2012年もマイタウンマーケットをどうぞ宜しくお願いいたします。
北澤
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