2011年4月26日 火曜日
「仮設住宅のタンス、編まれる絨毯、水産加工業」
地元の野菜などを売るお店「あぐりや」に夕子さんが出勤。見送ってからPCで日記を書いた。終えるとマスクをつけて家を施錠する。鍵をにぎって、夕子さんにに届けにいく。初めて見る店員としてのすがた。以前から横を通ることがあり、地元のものを地元の人が売り、地元の人が買っていくこのお店を知っていた。このまちでの新しい「市場」について最近考え続けている私にとって「あぐりや」はとても気になる存在だ。
町役場に行って物資のコーナーを訪ねるとすでに役場での物資配布は終わっていた。避難所の少女が絵柄付きのマスクを求めていたので探しにきたのだが手に入らなかった。
いつもどおりボランティアセンターに行く。数日前までは相馬に入っていたボランティアが特例的に新地のボランティアとして活動していたが、今日みてみると私以外の全てのボランティアがここ新地町内の人になっていた。人員不足について把握しつつある現状だが、町民の力でなんとかしていこうという考えがあらゆる部分からかぎとれる。午前中の作業は仮設住宅のタンスづくりになった。昨日からようやくはじまった仮設住宅への転居。抽選であたった人から総合運動場につくられた仮設住宅へと移り住んでいる。国道6号の脇を走る旧道を右折し高台へのぼっていくと、自衛隊の車両と立ち並ぶ仮設住宅の棟がみえてくる。14-6の家に向った。近くまで着いて、立ち話している人たちに話しかけると「ここでやってんぞ。」と教えてくれた。すでに女性2人が作業していて、加わる。4畳半程度の部屋2つにトイレ、風呂、流し、テレビ、冷蔵庫、洗濯機などがある。依頼主のおばあちゃんは青菜を水道で洗っていた。予想以上に複雑な作業工程であるタンスに悪戦苦闘、ドライバーを車に取りにいきながら昼食のカロリーメイトを2片食べる。一つ終わると次の家、それが終わるとまた次。3軒目のときには作業メンバーも減り私と1年前に今泉地区にUターンでもどったお母さんのみだった。風呂に入っているつるし地区副区長の主人。昨日コメリで道具を買ってタンスに挑んだがステップ3くらいで諦めたらしい。ようやく終わった頃には午後3時。役場の職員さんもちょうどやってきて一緒にすこしコーヒー休憩をとった。この作業は電ドライバーが必須ですね、とみんなでタンスづくりの手間を認めあう。
一度ボランティアセンターに戻り作業報告。すぐさま新地小学校へ。遅くなってしまった。本部に挨拶して、食堂で絨毯を編む。地元の大工さんがやってきて世間話しながら二人でどんどん編んでいく。昨日約束していたおばちゃんは、遅くなったからもうこないだろう。夕食の時間がはじまっても編み続ける。今日はどの地区が食事担当なのだろう。いつもよりスタートは遅いけど、なんだが活気がある配膳だった。「きたざわくん!メシくえ!」いつものように誘われる。いやいや、大丈夫です、と言うのだが断れる余地はない。自衛隊が炊いている白米、豚汁、冷奴、フルーツ、唐揚げ。品目が多かった。地区ごとに食事の時間が決まっていて入れ替わるので、その入れ替わり時間にまにあうように口一杯に白米をかきこむ。休憩をはさんでまた絨毯を編む。だいぶ顔見知りになってきたので色んな人が進み具合を確認しにやってくる。話がはずむとこの絨毯の用途についてアイデアをだしあったりすることもある。この対話から相談、アイデア、実行。につづけばこの絨毯をひとつの場とした何かがはじまるかもしれないが、あまり想像しないでおかねばならない。
歌謡ショーを見おわったお母さんと夜9時を過ぎているが長話をした。家族が7人いて洗濯機を2台フル稼働させて洗濯していたこと、朝食を全員分つくり、仕事にいっていたこと。水産加工業をしていて、タコ、ヒラメ、アナゴ、キンキなどそれぞれの加工方法を話してくれた。私も興味があって次々に細かく質問した。「アナゴの頭をおさえて小さめの包丁でサッとひらくのよ、天ぷらにしてつゆをかけてね。私は嫌いだから食べないんだけどさ。」海からあがった魚介によって仕事の終わり時間は毎日変わる。話を聞けば聞くほど漁師町の磯の香りと加工工場の活気が頭に浮かんでくる。今はなくなり見えなくなった海と共生する営みが彼女とのやりとりによって少しずつ私のなかに鮮烈に残る更地と瓦礫の光景に建ちあがるような気がした。いつかその加工の手技を教えてくれるといって体育館の方にその人を見送った。
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