2011年6月26日日曜日

環境は関係の束














2011622

 新地の朝は早い、今日は特に早い。7時半すぎにはもう仕事をはじめていた。

ボランティアセンター内で活動の状況を共有するために、活動記録や、ボランティアとして活動してもらった方たちの感想シートをまとめる。新地高校の高校生たちがボランティアとして活動するための準備を部分的に考えたり、材料の発注をかけたり、他にもいくつかあったが思い出せない。

 このようなボランティアセンターでの業務のため、午前中から仮設にいけない私に代わって、これまで2日間一緒に活動してくれた京都YWCAのお二人が先に行ってくれる。少人数で、話合い、意見交換しながら仮設での活動を慎重に進めてきたため、ボランティアとして来ているとはいえ、もうこのお二人とはチームメイトのような感覚である。自治会長さんにも了解を得て、お願いします、と送り出す。

予定より遅くなり集会所に着くと、周りには工事車両がいくつも停まっている。各家に玄関をつくる工事がいよいよ本格化したのだ。そのなかで先入りしていた2人がつくった即席の看板がいい感じにみえる。今日も集会所の中での活動だ。先生となったおばあちゃんは今日も来ていて、三人でカゴを作っている。

すぐ近くに住む、一番最初にゴザを日除けにつけたお宅のおじいちゃんもふらっとやってきて、いつもの椅子に座り話をしている。

昼食も集会所で食べる。一度戻り昼食を終えたカゴ作りの先生ももどってくる。カゴがいくつもできてきた。昨日から考えていた、カゴを持って各家への呼びかけを始めようと動く。先生の知り合いのおうちに伺い誘いにいく。

私は集会所の窓から、2人がカゴを持って、友達の友達、さらにさらに、と歩み声かけしていく様をすこし眺めていた。その間にやってきた女性、「それなら母をよんでくるね」と家にもどりつれてきた。人が集まってくる。

 落ち着いてみてみると、集会所には10人くらいのおばあちゃんたちが集まり、カゴ作りをしているという状況になっていた。覚えたての作り方を数人のおばあちゃんに教える。

 熱中するひとたち。お茶を出すが、だれも手を休めなかった。5時くらいにみな合わせて、手を止め、「宿題ね、宿題!」といって家に持ち帰っていった。しばらくして、欲しい色のバンドをとりにくる人がいるくらいだから、本当に家でやっていたんだろう。

 子どもたちがいつものように遊ぶ。今日は時間が遅くなったので、アイデアを進めることはできなかった。自治会長さんとはすこし具体的に話はじめ、今度の総会に出れるようにしてもらうというのが進展だと思う。

 暗くなるなか片付けをする。朝早くから8時まで一瞬の隙もないノンストップだった。常連のおじいちゃんがやってきて座ったので、私も座ってしばらく話した。そうやって涼んで座っていると、向こうのお家からよく話す船方のお父さんがやってくる。マコガレイの煮付けを差し入れとしてもらった。

今日のおばあちゃんの集まりっぷりや、このような差し入れ、仮設の外観でみえづらくなっているが、この地域の人のつながりというものが、場所は移転しても脈々とここにあることがわかる。環境は関係の束である、という言葉をふと思い出す。

マコガレイの差し入れは私という余所者がこの豊かな関係の束へと誘われている証明だ。そしてその誘いに対して表現を返せない、つまりこのマコガレイを食べることができないこの状況が何ともはがゆくてたまらなく思った。

北澤潤

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